純文学作品を読むか迷うなかで、「純文学の楽しみ方とは?」と疑問を感じる方も多いでしょう。
その気持ち、よく分かります。私も何度本を数ヶ月放置したか…。
結論、純文学には「想定できないラストを楽しむ」などさまざまな楽しみ方があります。
そこで今回は純文学の楽しみ方を解説します。純文学を楽しむうえでの注意点や、気持ち悪いって本当かなども紹介するので、読書の参考にしてください。
純文学の楽しみ方
純文学には、以下のような楽しみ方があります。
暗黒社会に飲み込まれ、純文学にハマって10年以上経過した経験を踏まえながら、それぞれのポイントについて解説します。
美しくクリアな文章を楽しむ
純文学といえば、「美しくクリアな文章を楽しむ」という点は外せません。
実際に読んでみないことには想像がつきにくいポイントなので、一例を紹介しましょう。
こちらは、夏目漱石の「三四郎」において曇り空を見ている際の一節です、いいですか単なる曇り空の表現です。
三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。
夏目漱石「三四郎」
「安心して夢を見ているような空模様だ」
えええええええええ?く、く、曇り空だよ?安心して?夢を見て?ええええ?と大混乱。
この一文を読んだときに衝撃を受けて、純文学しか読まなくなったといっても過言ではありません。
そして安心して夢を見ているような曇り空は未だ出会ったことがなく、「これだから純文学はやめられねえ」と。
純文学の美しい表現については、以下の記事でも紹介しています。
【関連記事】純文学の魅力とは?初心者におすすめの作品や美しい文章の例も分かりやすく紹介
\\夏目漱石の「三四郎」が気になった方は、こちらをチェック!//
自分の境遇と照らし合わせて楽しむ
純文学は人間の根源的な苦悩が描かれているケースが多いので、開き直って「自分の境遇と照らし合わせて楽しむ」のもアリです。
いや、むしろそ「自分の境遇と照らし合わせて」読むほうが本分です。
たとえば、夏目漱石の「門」を例に考えてみましょう。
夏目漱石の「門」では前作の「それから」のif設定で、友人の好きな人を奪い取ったその後が描かれていますが、作中では人生の問題は一切解決しません。
読みながら「なんだ、これは人生の縮図か?」と共感しかなく、個人的には漱石のなかで1番大好きな作品です。
漱石作品は「書生」やら「高等遊民」やら非日常なイメージがあるものの、生きづらさに定評があるので、暗黒社会に飲み込まれている方には非常におすすめです。
【関連記事】夏目漱石作品の読む順番は?初心者向けに徹底解説!前期三部作や代表作も紹介
\\夏目漱石の「門」が気になった方は、こちらをチェック!//
想定できないラストを楽しむ
「純文学」と聞いて「あー、ああいうラストになるよね」と定番のラストを想像できる方がいるものでしょうか、たとえば「ミステリー=謎を解いて解決する」といったように。
おそらくほとんどいないというか、純文学に定番のラストはありません。そもそも定番の展開がない。
つまり、ラストが担保されていないので、それを面白いと捉えられるかは人それぞれです。
個人的に読んでいる純文学(特に古典作品)は高確率で人間が不幸になりますが、不幸にも多種多様なパターンがあります。
たとえば、物理的に救われたが精神的に救われなかったり、影(ドッペルゲンガー)に本体が乗っ取られたり、と。
たとえ不幸を迎えるとしても、純文学では「どどどどどんなラストを迎えるの?」のワクワクが止まりません。
【関連記事】純文学でバッドエンドを味わいたい!おすすめ作品を紹介!震えて眠れ絶望セレクション
関連性をたどって楽しむ
純文学をある程度読み慣れてくると、「関連性をたどって楽しむ」のも醍醐味です。
太宰治が「津軽」のなかで(おそらく)志賀直也の悪口を言っていたのであえて志賀直也を読んでみたり、ドストエフスキーの「二重人格」に影響を与えたらしいゴーゴリの「狂人日記」を読んでみたり。
また、大西巨人のように作中に引用が多い作家に出会うと、読むべき作品が増えるのも楽しみです。
大西巨人のおかげでロス・マクドナルドやチェーホフ、横光利一などを読みました。
1人の作者の作品を制覇するのも楽しいですが、純文学を読んでいると読書が読書を呼ぶ好サイクルが発生します。
もちろん、積読も増えるけどね!
【関連記事】積読してしまう心理とは?無駄じゃない!意外なメリットやあるあるも解説
純文学を楽しむうえでの注意点
純文学を楽しむうえでの注意点は、以下のとおりです。
それぞれの点について解説します。
序盤・中盤の「つまらない」であきらめない
純文学は終盤で巻き返す作品も多いので、序盤・中盤の「つまらない」であきらめないのがベターです。
途中までは本当につまらない作品は多い、でも、あきらめないで。
私は基本的に純文学もしくは海外文学作品しか読まない読書スタイルですが、毎日たくさん読むかといえばそんなことはありません。
純文学・海外文学作品は、つまらないのが大前提で序盤は1日1ページでも可!精神で本を読んでいます。
また、過去ヘッセの「車輪の下」においては読み切るのに実に10年かかり(あんなに薄いのに)、高校生のときから毎年挑戦しては神学校を辞めるか辞めないかあたりでいつも挫折していました。
なので、純文学の作品選びは比較的ページ数が少なく、有名な作品から入ることをおすすめしています。
【関連記事】ヘッセ「知と愛」一生に一度出会えるかどうか級の名作|あらすじや感想を紹介
自分の直感を信じて作品・作家を選ぶ
「純文学を読むなら作家の最初の作品から読もう」「やっぱり純文学というなら、あの作家からなのか」と肩に力が入っていると長続きしないもの。
むしろ曇りなきフラットな目線、自分の直感を信じて作品・作家を選ぶことがモチベーション維持の秘訣です。
個人的には「教科書に出てたあの作品なんだったんだっけ?」から純文学がスタートしました。
ただし、難解な訳の海外文学作品や、あまりにもページ数のある作品は、途中でやる気が著しく下がる可能性があるので最初に選ぶのは避けましょう。
【関連記事】純文学初心者向けに読みやすい古典作品を紹介!選び方から楽しみ方まで徹底解説
純文学は気持ち悪いって本当?
純文学は気持ち悪いのかは、個人の価値観によって異なります。
私も純文学ならなんでもいい訳ではなく、実際気持ち悪いと感じる作品もあれば、どうしたって好きになれない作品もあります。
また、時間を置いて読むと「こんなにいい作品だったか…?」というパターンも。
高校生の現代文で夏目漱石の「こころ」を読んでもまったく共感できなければ、感動もしませんでしたが、社会人になってから読むとこんなに刺さる作品もありません。
ただし、無理をして読むべき本はないので(読書感想文や卒論時は残念ながら除く)、「気持ち悪い」と感じるのであれば別の作品・ジャンルを選びましょう。
【関連記事】夏目漱石のこころのあらすじを簡単に解説!印象に残る言葉や場面も紹介
純文学に起承転結はある?
純文学が「つまらない」とされる理由にしばしば、「起承転結がない」ことが挙げられる場合があります。
「起承転結」のすべてがある作品もあれば、「起承転」で終わる作品もあれば、「あれ?起すらなかった…?」のような作品もあり、作品によってケースバイケースです。
「起承転結がある純文学がいい」といった場合には、あらすじを読んでから作品を選ぶのが無難です。
個人的には「起承転結」はあってもなくてもいい派ですが、やはり「終わり方」は気になります。
まとめ
純文学の楽しみ方として、以下を紹介しました。
- 美しくクリアな文章を楽しむ
- 想定できないラストを楽しむ
- 自分の境遇と照らし合わせて楽しむ
- 関連性をたどって楽しむ
純文学では序盤・中盤で「つまらない」と感じるケースもありますが、終盤で「ただの名作じゃん…!」となる作品も多いので、あきらめるをあきらめる精神で読み進めましょう。
今回の記事を、読書ライフを満喫する参考にしてください。
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