「純文学を読んでみたいけど、魅力って具体的に何なの?」と疑問を持つ方も多いでしょう。
なーんか難しそうで、なーんかつまんなそう。
結論、純文学には「美しい文章表現に触れられる」などの5つの魅力あるとが考えられます。
どんな魅力があるか分からずに読み始めて、「想像と違った」とミスマッチを感じるのは避けたいもの。
そこで今回は、純文学の魅力や初心者におすすめの作品を紹介します。
純文学に登場する美しい文章の例も解説するので、参考にしてください。
純文学の魅力とは?
純文学の魅力は、以下の5つです。
「魅力的だな」と感じるポイントが1つでもあれば、純文学作品が向いているでしょう。
魅力①|美しい文章表現に触れられる
純文学の魅力1つ目は、「美しい文章表現に触れられる」点。
心情表現はもちろん、花や空などの風景描写が美しく、読んでいると心が洗われる感じがします。
また、思ってもみない文章表現を読むことで、刺激を受けられるのも魅力。
例えば、川端康成の「雪国」には、以下の文章があります。
流れに沿うてやがて広野に出ると、頂上では面白く切り刻んだようで、そこからゆるやかに美しい斜線が遠い袖まで伸びている山の端に月が色付いた。野末にただ一つの眺めである。その山の全き姿を淡い夕映の空がくっきり濃深縹色に描き出した。
川端康成「雪国」
きっと私が見ても「ただの山の風景だな」と思うに違いありませんが、川端康成を通して見るとこんなにも美しく見えるのかと驚嘆です。
ちなみに深縹色とは、「こきはなだ」や「ふかきはなだ」とも呼ばれ、少量の紫味を含んだ青色のことで、藍染で最も濃く深い色とされています。
今回は夏目漱石・芥川龍之介・太宰治の美しい文章について紹介しているので、「純文学における美しい文章の例」を参考にしてみてください。
魅力②|根源的な悩みに寄り添う深さがある
純文学の魅力2つ目は、「根源的な悩みに寄り添う深さがある」ところ。
純文学には人生の苦悩が描かれているケースが多く、悩み苦しみながら生きることへの共感があります。
特に古典の純文学は100年以上前に執筆されている作品もありますが、何十年・何百年経っても早々人間の悩みは変わらないもの。
純文学はうわずみではなく非常に深く根差した文章なので、登場人物が煩悶する姿は共感を超えて肯定感すらあります。
詳しくは、以下の関連記事よりご確認ください。あなたもバッドエンドの虜になってしまうかも。
▼人生の悩みについて描かれたバッドエンド系純文学などをまとめた記事は、こちら。
魅力③|作家の人生を踏まえて読める
純文学の魅力3つ目は、「作家の人生を踏まえて読める」点。
夏目漱石など、いわゆる文豪の作品を読む場合には、作家の生き様が深く関わっているため、作家の人生を知らずしては読めません。
作家の人生まで想いながら本を読めるのは、純文学だけと言っても過言ではないでしょう。
読み始めると文庫本の作者紹介欄だけでは物足りずに、Wikipediaを読んで、作家に関する本を読んで、と知的好奇心が刺激されます。
そうこうしていると、旅行に行くなら文豪に関する地域を回っておこうなどと幅が広がります。
魅力④|明治や大正時代の暮らしが勉強になる
純文学の魅力4つ目は、「明治や大正時代の暮らしが勉強になる」ところ。
当時の日々の生活に根差した内容が多く、現在にはない、もしくは珍しくなった文化や風習などを知る機会になるので見識が広がります。
「魅力①|美しい文章表現に触れられる」でも紹介した、川端康成の雪国では縮(着物の生地)を晒す「雪さらし」を言及した文章があり、以下の通りです。
そして白縮をいよいよ晒し終ろうとするところへ朝日が出て、あかあかとさす景色はたとえるものがなく、暖国の人に見せたいと昔の人も書いている。
川端康成「雪国」
「雪さらし」とは、縮に付着した汗じみなどの汚れを雪の上に生地を干して落とす漂白する方法のことを指します。
南魚沼市の公式ホームページでは「越後上布の雪ざらし」が紹介されていますが、真っ白な雪の上に色とりどりの生地が干されている風景は「暖国の人に見せたい」という気持ちにも納得する美しさがあります。
理解を深めるためには自身で調べる必要があるものの、馴染みのない文化を知るのは楽しいもの。
その他にも、「活動写真(明治・大正期の映画)」や「敷島 (たばこの銘柄)」など、よく登場するので自然と覚えられます。
参考元:南魚沼市|越後上布の雪ざらし
にいがた観光ナビ|小千谷縮雪ざらし
魅力⑤|本を読むスピードが上がる
純文学の魅力5つ目は、「本を読むスピードが上がる」点。
純文学に限ったことではありませんが、読書量が増えたり、難解な表現に慣れたりすることで、読書速度のアップが期待できます。
感覚値ですが、ドストエフスキーなどの海外文学を読んだ後に日本の文学に戻ってくると、スラスラと文章を読めます。
また、古典の純文学に慣れてから、エッセイや現代の小説を読むと、想像以上に短時間で読めることにびっくりした経験も。
さらに、物語が面白くなるまでに時間のかかる作品も珍しくなく、忍耐力などを身につけられるのもメリットです。
長文の文章にも不思議な程に抵抗感がなくなる…!
▼純文学についてまとめた他の記事は、こちら。
魅力たっぷりな純文学作品【初心者向け】
魅力たっぷりな純文学作品として、以下の3作品を紹介します。
これから純文学を読みたいと考える方は、ぜひ参考にしてください。
夏目漱石「こころ」100年を超えるベストセラーは外さない
夏目漱石「こころ」のおすすめポイントは、以下の通りです。
- 場面展開が明確で読みやすい
- 難解な表現も少ないので挫折しにくい
- 誰もが経験するエゴ・孤独・若さの果ての悲劇が儚く切ない
新潮文庫の累計発行部部数で700万部(2014年時)を超える大ベストセラー小説、夏目漱石の「こころ」。
「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の3部構成となっており、場面展開がはっきりしているので初心者でも読みやすい1冊です。
また、高校の現代文で一部読んだ経験のある方も多く、難解な表現も少ないため読みやすいでしょう。
「こころ」は知識人の孤独な内面を描いていますが、誰もが経験するエゴ・孤独・若さの果ての悲劇が儚く切ない作品で、興味深く最後まで読み切れます。
作者/作品名 | 夏目漱石/こころ |
ページ数目安 | 384ページ |
▼夏目漱石の作品を読む順番をまとめた記事は、こちら。
参考元:デイリー新潮|夏目漱石『こころ』700万部突破!連載開始から100年で
太宰治「人間失格」ダメ男すら許せる美文を堪能できる
太宰治「人間失格」のおすすめポイントは、以下の通りです。
- ダメ男すら許せる美文を堪能できる
- 200ページ以下!ページ数が少ないので取りかかりやすい
- 展開が区切られているので読みやすい
太宰作品の大きな魅力でもある「ダメ男!ダメ男だけど!!この美文!!!なぜか許せる!」の真骨頂「人間失格」。
私も純文学を読み始め時期に読みましたが、「う、美しすぎる…もはや漢字とひらがなのバランスさえ完璧に見える…」と謎の感動を感じました。
全体のページ数は新潮文庫で200ページ以下と非常にとっつきやすいのも魅力。
また、「はしがき」「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」と区切られているので、初心者でも取り組みやすいでしょう。
作者/作品名 | 太宰治/人間失格 |
ページ数目安 | 192ページ |
芥川龍之介「羅生門」短い・面白い・分かりやすいの3拍子
芥川龍之介「羅生門」のおすすめポイントは、以下の通りです。
- 短い・面白い・分かりやすいの3拍子
- 高校の現代文で習っているのでハードルが低い
- 文庫にはさまざまな作品が掲載されている
短い・面白い・分かりやすいの3拍子が揃う、高校の現代文決定版・芥川龍之介の「羅生門」。
過去に読んでいる作品であり、初心者でも読みやすい作品だといえます。「ああ、あれだ、あの羅生門で下人がおばあさんに会う…」、そうそのアレです。
短編で結末まで教科書に掲載されており、起承転結がはっきりしているため、記憶に残っている方も多いでしょう。
文庫本には他の有名作品も掲載されており、さまざまな作品に触れられるのもメリットです。
作者/作品名 | 芥川龍之介/羅生門 |
ページ数目安 | 304ページ ※文庫本全体のページ数 |
▼初心者におすすめの純文学作品について詳しくまとめた記事は、こちら。
純文学における美しい文章の例
純文学における美しい文章の例として、以下の作家の文章を紹介します。
「購入する前に、どんな雰囲気か知りたい」という場合にも、参考にしてください。
夏目漱石の場合
夏目漱石の美しい文章の例として、2つ紹介します。
1つ目は「三四郎」で、主人公・三四郎と美禰子が曇った空を見ている場面の文章です。
三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。
夏目漱石「三四郎」
「安心して夢を見ているような空模様だ」
これを読んで、夏目漱石の文章に夢中になったと言っても過言でない程に感動した記憶があります。
「曇り空だよ…?安心して夢を見ているってどうゆうこと…?」と一生懸命想像しながら、文庫本を持つ手が震えました。
2つ目は「道草」で、冒頭に近い部分で主人公・健三について書かれている文章です。
自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。人間をも避けなければならなかった。(中略)だから索寞たる曠野の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それが却って本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。
夏目漱石「道草」
夏目漱石の魅力でもありますが、「温かい人間の血を枯らしに行く」など人間の孤独に関する表現の豊かさがうかがえます。
自叙伝のタイトルに「道草」と名付けてしまう漱石のことが大好きです。
太宰治の場合
太宰治の美しい文章の例として、作品「津軽」から2つ紹介します。
「津軽」は、主人公(太宰治)が故郷を見て回り、友人や自身の子守をしていた人物など懐かしい人々に会ったことを記録した小説です。1つ目の文章は、以下の通り。
人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。
太宰治「津軽」
大人になってから、特に社会人になってから読むと、感慨深すぎてちょっと泣きそうになります。
また、2つ目の文章は、以下の通り。
金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。
太宰治「津軽」
個人的に太宰治の良いところは、その素直さとサービス精神の旺盛さだと思っており、よく出ている文章の1つです。
「書くからいけないのだ」って書かなきゃいいのに、書かずにはいられない感じが大好きです。
芥川龍之介の場合
芥川龍之介の美しい文章の例として、2つ紹介します。
1つ目は「戯作三昧」で、主人公・曲亭馬琴の心持ちを表した一説です。
無心の子供のように夢もなく眠ることができたならば、どんなに悦ばしいことであろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。……
芥川龍之介「戯作三昧」
「戯作三昧」自体は初期の作品に入りますが、後期の作品を思わせる疲労感があります。
芥川自身の死ぬ間際を言い当ててる感があって笑えないのですが、儚く美しいという。
2つ目は、今昔物語集を題材とした「芋粥」の一場面です。
が事実は彼がその為に、生きていると云っても、差支えない程であった。――人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。
芥川龍之介「芋粥」
主人公が芋粥を唯一の楽しみにしていることを説明している部分の文章ですが、趣味を人生の喜びとしている層としては心に染みる一説。
「その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」の言葉を見ていると、応援されているような気持ちにもなります。
個人的には美しい文章を採集するのも、純文学を読む醍醐味です。
まとめ
純文学を楽しむためにも、その魅力をおさらいしましょう。
- 美しい文章表現に触れられる
- 根源的な悩みに寄り添う深さがある
- 作家の人生を踏まえて読める
- 明治や大正時代の暮らしが勉強になる
- 本を読むスピードが上がる
初心者向けにおすすめな純文学は、夏目漱石「こころ」・太宰治「人間失格」・芥川龍之介「羅生門」です。
また、純文学における美しい文章の例として、夏目漱石の「三四郎」「道草」などを紹介しました。
今回の記事を、読書ライフを楽しむ参考にしてください。
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