徒然なるままに、日々の読書を記録する。
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6月30日|チェイサーが本気になるとき

6月からゴーゴリ『死せる魂』を読むと決めていたものの、チェイサーに再読を始めた大西巨人『神聖喜劇』が本気になったきた。
大まかな内容を思い出すことが目的なので「拾い読み〜」と思っていたのに、結構まじめに読んでしまう。5年ぶりくらいの『神聖喜劇』、相変わらず面白い。
暗黒OL時代は東堂太郎と自分を重ねられたが、この怠惰なフリーランスの私は東堂太郎と重なるのだろうか。
しかし、選書は毎度のことながら難しい。今の気持ちに合うかどうかは読み始めてからじゃないとわからないし。合わないときは思い切ってやめるのも全然あり派。
6月14日|辞書のありがたみ

学生時代には当たり前に使っていた辞書、近年では意味を調べる際にスマホで済ましてしまうケースが多くなっていた。しかし、就寝前の読書でスマホのブルーライトは浴びたくないと思い、数年前に辞書を購入。
30歳を過ぎて辞書のありがたみを感じるというのはおかしな話だけども、就寝前にかかわらず意味を調べるのは辞書→スマホになった。スマホは「ふーん」で、辞書は「なるほど」といった感じ。
ひと昔前の海外文学を読んでいると、語句が難しくて「日本語に訳されているのに読めない」と自分の不甲斐なさも感じる。
6月13日|中休みばかりしている梅雨

去年もそのような感じで、夏場のほうが湿度が高かった気がする、気のせいだろうか。ジメジメは嫌だけど、季節どおりの天気じゃないと自律神経が落ち着かない。
今年の梅雨同様に私の読書も中休みばかりだが、『死せる魂』なんとか30ページくらいまで読んだ。物語は一向に動かないものの、修飾語多すぎる問題などには慣れてきた感がある。
信じてるよゴーゴリ、このあととんでもない読書体験をくれることを。
6月12日|また積読増える、いや増やす

本棚の大整理をしたばかりなのに、また積読が増えた(いや増やした)。
大西巨人は『神聖喜劇』『深淵』『二十一世紀前夜祭』に続き、個人的には4作目となる。「確かそんなに作品数ないよな」とWikipediaをチェックしたら、そんなこともなかった。ごめんなさい大西巨人。
しかも、『三位一体の神話』はミステリーである。大西巨人の作品でロス・マクドナルドを知ったこともあり、「(作者は)ミステリーが好きだったのかな」と思いつつ、いつ読むんだ。
『死せる魂』は、まだテンション上がらず。
6月7日|ゴーゴリ『死せる魂』を読み始める

河出書房新社の「世界文学全集(グリーン版)」、ゴーゴリ『死せる魂』を読み始めた。
久しぶりに全集系を読むわけだが、上下2段構成の文字びっしり。「ドストエフスキーの5大長編を制覇した私には怖いものなんてない」なんていうのはやはり勘違いで、やはり読めども読めども進まない啄木現象。いい感じに読書のモチベが下がる。
修飾する文章が多すぎて主語と述語がわからなくなる、文章の途中に入る「ー文章ー」のパートのせいで何の話か迷子になる、という海外文学あるあるの連続。最後まで辿り着けるのか。
しかし、巻末に掲載されているゴーゴリの一生に軽く目を通すと、43歳で精神錯乱のうちに悶死する、と。(不謹慎は承知のうえで)俄然、読む意欲が湧いてきた。
6月6日|闇とユーモアがメタモルフォーゼしたら

梶井基次郎になるだろうと。ということで、3ヶ月くらい読んだり放置したりしていた梶井基次郎の短編集(講談社文庫)を読了。
正しく純文学ゆえに、最高につまらなくて最高に面白い。が、30も半ばを超えた私には青年期の感傷はもう共感できなくて、途中耐えられず坂口安吾の全集をチェイサーにしつつやっと読了した。
一緒に肺を病んで、一緒に窓からの景色を眺めて、一緒に影と闇に惹き寄せられた。どのような目線で物語を見るのかというのは本を読むうえで結構重要なポイントだが、あれだけ主人公が見ている風景と心象を事細かに描写されるとどんどん私のなかの目線が調整されて、中盤からは主人公と同じ目線でものを見れる。
同じような短編が繰り返されるちょっとした地獄(※面白い)が味わえるのも醍醐味。
6月5日|本との出会は突然やってくる

近所の怪しげな古本屋で1冊100円で売っていたので思わず買ってしまった、世界文学全集のバルザック『幻滅』。
全集や定本の類は通販やオークションで見かけても、「本体が安くても送料がなぁ」と購入をためらいやすい。私のなかでの筆頭が、河出書房新社の「世界文学全集(グリーン版)」である。
改めて調べてみると、河出書房新社の「世界文学全集(グリーン版)」はなんと全100巻…、企画した人は3徹明けだったんじゃなかろうか。1年に1冊読んでも100年かかる。
積読本からのプレッシャーをひしひしと感じつつ、また厚めの本を買ってしまう。



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