読書をするなかで、「純文学って”オワコン”なの?」と疑問を持つ方も多いでしょう。

「オワコン」は「終わったコンテンツ」の略ですが…
結論、純文学がオワコンかどうかは、個人の考え方によって異なります。純文学について理解を深めたい場合、現状について知っておきたいもの。
そこで今回は、純文学は「オワコン」なのか?をテーマに解説します。よくある質問も紹介するので、参考にしてください。
- 純文学が「オワコン」といわれる衰退の理由として、「エンタメ性に欠ける」などを紹介します。
- 一方で、純文学が長く読まれている理由には、「人間の根源的な苦悩を的確についている」などがあります。
- 純文学は「オワコン」なのかに関するよくある質問を解説します。
純文学が「オワコン」といわれる衰退の理由

純文学が「オワコン」といわれる衰退の理由は、以下のとおりです。
- 効率を求める風潮に合わない
- エンタメ性に欠ける
- 趣味や娯楽が多様化している
- 学校で習っても面白さを実感できない
それぞれの理由について、詳しく解説します。
効率を求める風潮に合わない【読むのに時間がかかる】
純文学は難解な表現で描かれている作品も多く、読み切るのに一定の時間がかかるため、効率を求める風潮に合わず「オワコン」といわれるケースがあります。
また、純文学特有の場面展開が少なく起承転結の曖昧さにより、なかなか面白さを感じられないのも、読了までに時間がかかる要因の1つです。
加えて、意味を深く考えたり、一旦戻って何度も読み直したりすると、さらに時間が必要となります。

確かに時間はかかる…!が、それも純文学の醍醐味です。
エンタメ性に欠ける【オチがない・起承転結が曖昧】
純文学は大衆小説とは異なり、エンタメ性を重視したジャンルではないので、「オチがない」「起承転結がよくわからない」という理由からオワコンとされる場合があります。
なお、純文学と大衆文学の違いは、以下のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 純文学 | 芸術性に重きを置いて、表現の美しさや内面的な描写などを追求する小説 |
| 大衆小説 | 娯楽性や商業性を重視している小説 |
純文学の作品が映画・ドラマ・アニメの原作となるケースは稀で、純文学以外に多くのエンタメ性に富んだ作品があることがわかります。
【関連記事】純文学と大衆文学の違いとは?芥川賞と直木賞の相違点についても解説
趣味や娯楽が多様化している【純文学を選ぶ必要がない】
趣味や娯楽は多様化しており、わざわざ時間がかかる&エンタメ性が低い純文学を選ぶ必要がありません。
ただし、これは純文学に限らず読書全体にいえる現象です。文化庁が公表している2023年度の「国語に関する世論調査」から、1ヶ月に読む本の冊数の割合をチェックしましょう。
| 項目 | 割合 |
|---|---|
| 月7冊以上読む人 | 1.8% |
| 月5〜6冊読む人 | 1.5% |
| 月3〜4冊読む人 | 6% |
| 月1〜2冊読む人 | 27.6% |
| 読まない人 | 62.6% |
1ヶ月に1冊も本読まない人が全体の60%以上を占めており、読書自体が趣味の分野で衰退しているともいえます。
【関連記事】読書家あるある12選!本の虫と呼ばれる人は何冊読んでる?定義や特徴も解説
学校で習っても面白さを実感できない【出会い方の問題】
純文学の以下の作品は学校で習う傾向にありますが、学生時代には往々にして面白さに気づけないものです。
- 夏目漱石「こころ」
- 中島敦「山月記」
- 芥川龍之介「羅生門」
- 太宰治「走れメロス」
- 森鴎外「高瀬舟」
今改めて振り返っても、なんか三角関係で(こころ)、なんか虎になっちゃって(山月記)、なんか最後追い剥ぎで(羅生門)、なんか最初から激怒してて(走れメロス)、とりあえず足ることを知る(高瀬舟)でしょ?といった身も蓋もない感想を持たなくもありません。
作品に出会った10代の当時を考えればなおさらで、描写の美しさを感じ取ったり、人間の根源的な悩みを見出したりするのは難しいといえます。

教訓も大事だけど、まじでぐうの音が出ないほど表現が美しい箇所を掲載して欲しい…。
では、純文学はオワコンなのか?といえば、完全にそうではありません。これは、純文学が100年以上経ってもなお読まれ続けているからです。次の章以降で、長く読まれている理由を解説します。
純文学が「オワコン」は嘘?長く読まれている理由

純文学が「オワコン」とはいわれつつも、長く読まれている理由は以下のとおりです。
- 表現の豊かさを感じられる
- 人間の根源的な苦悩を的確についている
- 予想だにしないエンディングが待っている
夏目漱石の作品前後で、発表からすでに100年以上の時間が経過しています。そのような作品群が、現代でも読まれ続ける理由を探っていきましょう。
表現の豊かさを感じられる
芸術性を重視した「純文学」は、心が洗われるような表現の豊かさを感じられるのが魅力です。
ここでは、純文学の表現の豊かさを感じられる例として、夏目漱石と芥川龍之介の作品の一文を紹介します。
【夏目漱石「三四郎」「こころ」】
三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。
夏目漱石「三四郎」
「安心して夢を見ているような空模様だ」
先生も奥さんも、今のような態度でいるよりほかに仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事もできないように)。私は人間を儚いものに感じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、儚いものに感じた。
夏目漱石「こころ」
【芥川龍之介「芋粥」「或阿呆の一生」】
――人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂(わら)う者は、畢竟(ひっきょう)、人生に対する路傍の人に過ぎない。
芥川龍之介「芋粥」
「死にたがっていらっしゃるのですってね。」
芥川龍之介「或阿呆の一生」
「ええ。――いえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです。」
とくに近代や戦後直後の文学には、上記のような美文があふれており、読みながら「おぉ…」と唸るばかりです。

もはや、この表現の豊かさはロストテクノロジー(テクノロジーじゃないけど)ではないかとすら思われる…!
【関連記事】純文学の書き出しにはどんなものがある?押さえておきたい名作の冒頭部分を紹介
人間の根源的な苦悩を的確についている
「純文学は文章が美しいだけでしょ?」と思ったら大間違いで、表現の豊かさを実感できるのは大前提ですが、人間の根源的な苦悩を的確についている作品が多いのも特徴です。
純文学で描かれる人間の根源的な苦悩には、以下のような例があります。
- 埋めようもない孤独
- 他人はもちろん家族とすら分かり合えない
- 老いによって周囲に置いていかれる焦り
- 日常の問題はそう簡単に解決しない
個人的にも、ブラック企業でまったく希望がない生活を送っていたときに純文学と出会い、それはもう大きな感銘と共感が湧き上がったことをよく覚えています。
【関連記事】純文学の魅力・面白さとは?初心者におすすめの作品や美しい文章の例も分かりやすく紹介
予想だにしないエンディングが待っている
純文学といえば…という定番の結末はなく、予想だにしないエンディングが待っているのが純文学の見どころの1つです。
たとえば、推理小説なら「事件を解決する」、恋愛小説なら「付き合うor別れる」など、ある程度エンディングの想像ができるものの、純文学には基本的にそのような流れはありません。
高確率で不幸なエンディングが待っていますが、またそのバッドエンドも単に登場人物が死ぬということではなく、多種多様です。
【関連記事】純文学でバッドエンドを味わいたい!【おすすめ作品を厳選】震えて眠れ絶望セレクション
純文学は「オワコン」なのかに関するQ&A

最後に、純文学は「オワコン」なのかに関するよくある質問を解説するので、疑問を解消しましょう。
純文学はつまらない?
純文学がつまらないと感じるかどうかは、個人の価値観によって異なります。
大衆小説よりも純文学はエンタメ性が低いものの、感じ方は人それぞれであり、「エンタメ性が低い=つまらない」とはなりません。
純文学で読むべき作家は?
純文学で読むべき作家は、好みの作風によっても違いがありますが、夏目漱石や芥川龍之介などの代表的な作家の作品は読んでおいて損はないといえます。
また、芥川賞をはじめとする文学賞を受賞した歴代の作品も、同様に読んでおいて後悔がありません。
【関連記事】純文学の作家&有名作品一覧【一度は読んでおきたい近代文学】美しい文章の例や選び方も紹介
まとめ

純文学が「オワコン」といわれる衰退の理由には、「効率を求める風潮に合わない」「エンタメ性に欠ける」などがあります。
ただし、純文学には以下のような魅力があり、発表から100年以上経過した現代でも読み続けられている側面もあります。
- 表現の豊かさを感じられる
- 人間の根源的な苦悩を的確についている
- 予想だにしないエンディングが待っている
純文学がオワコンかどうかに関係なく、本は好みに合わせて選書するものなので、実際に読んでみて興味に合うか試してみましょう。今回の記事を、読書ライフを満喫する参考にしてください。


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